実質①
連投
会計を学ぶと「実質的に」という言葉が出てくるが、具体的にどのような意味なのだろうか。
〇個人的な意見
実質的という意味を広辞苑で調べると下記の通り記載されている。
(電子辞書が壊れていたためようやく買い替えた)
実質的とは、実際に内容が備わっているさま。また、外見や形式よりも内容・本質に重点を置くこと。⇔形式的。
実質は経済的実質という言葉として使用されることがある。(例えば、リース会計基準)この単語が使用される文章の付近でセットとして出てくるのは法的形式である。
経済的実質⇔法的形式であることと、実質⇔形式であることを踏まえると、会計上使用される実質という言葉の意味は、契約形態を会計処理に反映するのではなく、契約から生じる経済的な効果(費用負担や利益享受)を表現することを求めているということなのだろう。
これは広辞苑の実質的の説明にある「内容・本質」という部分が経済的な効果ということに当たるだろう。
〇概念フレームワーク
上記のようなことを考えていたのだが、ふと概念フレームワークを読むと実質について説明がなされていた。以下、20項抜粋。
「会計情報が比較可能であるためには、実質が同じ、すなわち、企業の将来キャッシュフロー(の金額、タイミング、不確実性)が投資家の意思決定の観点から同じとみられる場合には同一の会計処理を、それが異なる場合には異なる会計処理がなされていなければならない。」
この文章から実質とは、企業の将来キャッシュフローの金額、タイミング、不確実性のことを指していると想定される。非常に難しい表現だが、イメージとしては経済的な効果ということで大きくずれているものではないと思われる(だといいな)。
今読んでも難しい文章だと感じると同時に勉強不足を思い知らされた。
皆さんは実質であるとか実態といったことをどのように解釈しておられるだろうか。
余談ではあるが、会計処理は実質を表現することが目的ではなく、実質を重視しているのはあくまでも実質を表現することが情報提供機能として投資家の意思決定に有用と考えられるからである。このあたりの考え方を今一度整理したい。
なお、形式的とは、形式に関するさま。表面的な形ばかりで、内容が伴わないさま。
経済的とは経済に関する様。費用・手間のかからないさま。安上がり。
法的(法律的)とは、法律の立場に立っているさま。
経済とは、国を治め人民を救うこと。経国済民。政治。人間の共同生活の基礎をなす財・サービスの生産・分配・消費の行為・家庭、ならびにそれを通じて形成される人と人との社会関係の総体。転じて、金銭のやりくり。費用・手間のかからないこと。
人と人との社会関係が経済だとは考えたこともなかった。
ブログを書くのは意外と時間を費やすことが分かると同時に、
自分の考えも思いを巡らせるだけでは整理できておらず、
書き起こすことは大事なのだと思った。
未来の惑星
以上
批判
こんばんは。
何かを批判するときは否定するだけでは不十分であり、
どうするべきか、改善策等を述べることが求められる。
それに最後まで人の話を聞かない人もいる。
途中までしか相手が述べていないにもかかわらず口をはさむ人も多い。
また、批判する際はその批判対象を熟知している必要がある。
うわべだけをとらえて、知ったような口をきいて、
さも自分の意見が正しいかのように主張して、
知る努力、理解する努力もせずに宣う輩がいる。
ただ、批判対象を熟知することは難しく、
これを前提にしてしまうと何も意見を言えなくなってしまうという弊害が生じる。
否定と批判は違い、
やみくもに自分の意見を押し付けるのではなく、
相手を知る努力をすることも批判という言葉の中に含まれているのだろう。
結局、平凡でなれ合っているような見解となってしまった。
猛独が嗤う
以上
取引の実態(仮定・前提)
こんばんは。
ブログは1週間に1回ほどのペースで書いていきたいと思う。
「会計処理(仕訳?)は取引の実態を表す。」
といったようなことを見かけたりするが、本当にそうであるならばこれほど楽なことはない。
そもそも本当に会計処理が取引の実態を表しているのならば、監査は不要ではないか。
「会計処理(仕訳?)は取引の実態を表す。」ためには仮定、前提というか条件がある。
仕訳を記帳する人が会計基準の内容、趣旨を正確に理解し、基準に従った処理を行っているだけでは不十分であり、記帳対象となる取引の性質、リスクがどのように生じるかを把握している必要がある。
さらにいえば、金額的重要性が乏しいからという理由で簡便的な処理を行ってはならないだろう。
なぜならば重要性の基準により容認されている会計処理は取引の実態を表しているわけではなく、投資家の意思決定に及ぼす影響が小さいと考えられるから許容されているものだからである。
このほかにも現行制度上の基準自体が妥当かどうかという話にもつながってくると思う。現在の基準に従うことで実態を表すことができているのか、
先の言葉一つとっても多くの前提が含まれている。このようなことを理解したうえで発言しているのであれば問題ないが、そうでないならば会計処理を過度に過信して形式的な対応ばかり取るようになってしまわないか心配をしてしまう。 まさに性善説というか、懐疑心がみじんもない発言といえるだろう。
この例だけではないが、会計にはあまりにも多くの前提がありすぎて実にもろいものではないかというように感じることがある。
原価計算が最たる例だと思われるが、
現実は、取引⇒処理の流れを正確にできていないこともあるので監査は必要なのだろう。実質的にどのような取引を行っているのかまで気を配ることが監査上は求められている。
いつかは会計を学ぶ上で最重要な会計公準について見識を深めていきたいと思う。最近の本はメジャーな3つしか載っていないものがほとんどで非常に残念。
言葉の持つ意味を正確に理解するのは難しい。1を聞いて10を知るではないが、言葉の奥底にあるものまで認識できるように気を回せるようになりたいと思った。
また、会計処理という単語を使用した際に仕訳であるとか、会計学、簿記論など、それぞれの言葉が持つ正確な言葉の意味を整理したいと思った。
他人に厳しく、自分にはより厳しく。
以上
初陣・経緯
はじめまして。
◎経緯
ブログは今から10数年前から広まったように記憶している。
当時はブログなどくだらない、日記をつける意味が分からないと思っていた。
今日の自分は昨日の自分+24時間の経験で構成されているから
昨日の自分よりも今日の自分のほうが成長しているはず。
だったら、日記をつけたところで過去を振り返ることはない。
みたいなことを考えていた気がする。
考え方は変わる。そして忘れる。
今は昔の自分が何を体験し何を思っていたのか、
考え方の変遷を記録していきたいと考えている。
後々のために、その他諸々メモ帳代わりにも使えるし
自分を正当化して過去の自分に謝ってから始めよう。
「ごめん。あんだけ毛嫌いしていたブログ始めます。」と。
よろしくです。
以上